今はなき新東陽元会長の麦幸夫氏は台湾・桃園県大園郷の出身で、台湾における商工業が勃興しはじめた1967年に初めて事業を起し、類稀な意志力と理想で、肉類加工品の生産と販売を行う新東陽を設立しました。設立地点は現在の台北市武昌街にある小売店舗で、ここが新東陽発祥の地に当たります。
故会長は事業を立ち上げると同時に中華美食の高級化、国際化を精神的な指標に掲げ、生産技術、経営管理、マーケティング、研究開発といた方面で精進を続け、新東陽を国外に名を知られるまで発展させ、台湾製食品の国際市場進出の基礎を築きました。新東陽は順調に成長と発展を続け、台湾全土において小売店を展開し、国際化を象徴する桃園国際空港の出発ロビー店や海外事業所を相次いで開き、故会長のもっていた企業家としての先見性を具体化しています。
海外での事業展開のため、1982年から故会長は台湾を離れることが多くなり、また気さくな人柄のため普段から訪問客も多かったのですが、故会長は部下とのコミュニケーションを事のほか重視し、多忙を極めるなかで時間を割いて部下の意見に耳を傾け、従業員に対する激励と気配りを忘れず、年末の忙しい時期にあって従業員への向けの食事のボリュームアップを指示したり、小売店で陣頭指揮を取って士気を高めたりしています。このほかにも、故会長は協力業者を大事にし、腰の低い態度で接し、問題解決の相談に乗ったりしていたため、新東陽は高品質の食材を比較的安価に仕入れることができました。いわゆる、「品質が信用を生み、信用が品質を保証する」です。
故会長は社会的貢献に対しても熱心に取り組み、相前後して公益団体の要職に就いたこともあり、スポーツ界、警察、消防、貧困者などに対して個人的にかなりの寄付を、人知れぬうちに行っています。1984年には学生を援助する「財団法人新東陽基金会」を設立して社会への貢献を実際の行動で示しました。
故会長は常に経営に専念し、多くの事業を立ち上げましたが、仕事のペースを落としたことは決してなく、発病前も桃園国際空港の出発ロビー店の経営、大園工場の設立準備、国際間の提携による共同開発に取り組んでいました。故会長がリーダーシップを発揮するに当たる積極性、失敗を恐れぬ精神には多くの人が敬意を払い、その人情味、部下への思いやり、謙虚さと器量の深さによって慕われていました。
故会長麦幸夫氏は1985年10月27日(旧暦9月14日)、高血圧が原因で四十四歳で急逝しました。この知らせに実業界は驚きを隠せず、働き盛りでの早過ぎる死を惜しみ、従業員一同も心から哀悼の意を表しています。
(新東陽通信第十一期、唐德娟著「故人已遠、典範猶存(故人はすでに遠い存在だが、典範は生きている)」より抜粋)





















